――ノワールとは?――
司会 バラエティに富んだアジア関連本が並びましたが、どれから?
永江 では梁石日(ヤン・ソギル)の『死は炎のごとく』(梁石日著、毎日新聞社、2001年1月刊、本体1800円)から取り上げましょう。これは毎日新聞社がはじめた「アジア・ノワール」という書き下ろしエンターテインメントのシリーズ第1弾です。
斎藤 「アジア・ノワール」とは?
永江 ノワールというのは暗黒小説。フランスのセリ・ノワールとかフィルム・ノワールから来ています。そのアジア版。アジアを舞台にした暗黒小説のシリーズです。
斎藤 なぜアジアなんですか?
永江 暗黒はいまアジアにあるから。
斎藤 おお、そういうことか。では、暗黒小説を定義すると?
永江 悪を描く、世界の暗黒面を描く。勧善懲悪的なストーリーではないけれども、かといってピカレスクロマン(悪漢小説)でもない。現代の作家では、アメリカのジェイムズ・エルロイのL.A.四部作なんかが代表的です。暗くて救いがないから日本ではウケないといわれていたけれども、馳星周の登場で必ずしもそうではないことがわかった。『死は炎のごとく』は、キム・デジュン(金大中)の拉致誘拐事件とパク・チョンヒ(朴正煕)狙撃事件という、実際にあった二つの事件を軸にしています。拉致事件は東京で、大統領狙撃事件は在日朝鮮人によって起きた。つまり、二つとも日本の密接な関わりを持った大事件です。私たちはこの小説を前に、なぜ梁石日は今これを書いたのかを問うべきでしょう。キム・デジュン(金大中)が韓国の大統領に就き、1年ぐらい前からは南北朝鮮の対話が始まった。日本にとって他人事ではありません。キム・デジュン拉致誘拐事件のとき、当時の自民党政権は彼を見殺しにしようとした。その人物が、時を経て、大統領になった。いまの自民党の政治家のなかには、肝を冷やす思いの輩が大勢いることでしょう。かたや同じ在日朝鮮人同朋が、総聯と民団に分断され、反目し合うようになる。キム氏拉致事件のあと、二つの組織の狭間でひとりの在日朝鮮人青年がテロリストになっていく。作者はかなり念入りに調査して事実をもとに書いていますが、しかし、謎が謎を呼び、結局のところ背後の背後で動いていたのは何なのかがわからない。真犯人はKCIAかもしれないし、アメリカかもしれない。アジアの現代史はこのような巨大な闇の上にあるのだということを痛感します。ただ、僕が不当だと思うのは、この小説のそうした性格についてきちんと解説した書評がほとんどなかったこと。黙殺に近かったでしょう?
斎藤 そうだよね。私もこんな小説とは全く知らなかった。ヤン・ソギルが書いた長編小説が無視されるなんて、不思議。エンタテインメント界もそうなの?
永江 書評にしても、政治的文脈で読むべき小説だ、という書評はほとんどない。
斎藤 それは何だろう。政治的なことに首つっこむのは面倒くさい、と思ったのかな。
永江 歴史に対する無知なのか、政治的想像力の欠落なのか。エンタテインメント界にそれを感じました。
斎藤 当然話題になっていいはずなのに、黙殺されたわけですね。南北朝鮮問題とか在日朝鮮人問題は下手に語れない、ということで避けてしまったのでは?
永江 でも現実問題とのリンクという意味では、これほど面白い素材はないよ。
斎藤 素材としてはそうですよね。ただ、私には主人公の宋義哲の内面的な動機、どうしてテロに走ったのか、その辺がいまいちわからなかったけど……。そこがポイントでしょ?
永江 在日朝鮮人という特殊な環境に置かれた青年が、どういうふうに自我を形成していってテロルに向かうのかは、具体的な歴史的状況を無視しては成立しない。
斎藤 そうだとすると、主人公の内的な動機もキチンと書いてくれないと。これだとよくわからない。すごく図式的な感じがしたな。民団があって朝鮮総連があって、南北統一をみんなが夢見てて…。だから軍事政権を倒さねばならぬ、という図式。それだけでいいのだろうか? その背後やその先には何もないのか。
永江 それは今だからいえることで。当時は、朝鮮戦争や南北分断から20年あまりしか経っていないよね。70年代の政治状況はこの通りだったと思う。著者に聞いたところによると、主人公のモデルになった人物は、実際にこうした生真面目な男だったらしい。
斎藤 いや、それはわかるんですけどね。要するに、私がこの主人公は好きじゃないってだけのことかしら。出てくる女がまたイヤな女じゃん。ヤン・ソギルの小説はどうも相性がわるいんですよね。『血と骨』も好きじゃなかったし。
司会 えっ! そうなんですか。
斎藤 はい、そうなんです(笑)。在日朝鮮人に対する血肉のつけかた、人物造型が、絵に描いたようで……。出てくる女は安っぽいし、男はマッチョ。彼の小説はいまいち入っていけない。すみません。
司会 永江さんは先ほど、この小説が今、出版されたことが重要だ、とおっしゃったけれど、その意味をもう一度はなして下さい。
永江 韓国の歴史、南北朝鮮の歴史は、われわれの歴史でもあるということを、私たちはまったく忘れている。だけど忘れてはいけないんだということを、この小説は突きつけている。在日朝鮮人のことにしても、僕らはろくに知らないでしょう。知らないということは恥ずかしいことです。忘れているということを確認するだけでも、意味は大きい。
斎藤 だけどさ、これを読んで歴史的背景までわかるかな?
永江 だから、それを繋げるのが書評家の役割でしょ。それをミステリ評論家は「男のドラマだ! 泣けるぜ」といった調子の作品ばかり取り上げて、これを無視していいのか!
斎藤 そりゃそうだ(笑)。
永江 小説としての出来は決して最上とはいえない。『血と骨』の迫力には及ばない。だけど重要な作品だと思います。
――よろめくアジア主義――
司会 では次に『アジア主義の光芒』(中島誠著、現代書館、2001年5月刊、本体2500円)に入りましょうか。
斎藤 これはアジア主義とは何かを丁寧に吟味した本です。戦前の日本は大東亜共栄圏、八紘一宇、アジアは一つ、といってアジアの侵略に乗り出していった。著者は、そこにはいわゆる侵略主義、帝国主義という言葉では言いきれない何かがあったといっています。侵略する部分とアジアを解放するんだというわけのわからない理屈の部分が両方あった。それが大東亜共栄圏と称して、日本の近代化のために、朝鮮に出て行き、日中戦争をしかけるという歴史の原動力になっていった。そこから始まって、アジア主義という意識は、戦後になっても、奇妙な亡霊のような形で残っているのではないか、というのが著者の問題意識です。このアジア主義を一度徹底的に分析し考え尽くしてみない限り、これからアジアをどう考えていくのか、またアジアの国々と一つとなって、行動していくことは出来なのではないか、というのが大雑把にいうとこの本の内容です。もうひとつ、歴史修正主義の問題。大東亜戦争を振り返るとき、「でも日本はいいこともしたじゃないか、植民地で」、とか「犬死っておもわれるのは嫌だ」という、心情的なものが、いまの70代、80代にはかなりある。だから、あの太平洋戦争を「侵略戦争だった」と、きちんと定義できない人が多いのではないか。それを歴史的な心情としてのアジア主義、という言葉で中島さんは使っているのです。
司会 明治から現在までおよそ130年にもわたる、長いスパンでみたアジア主義の検証としてはすごく面白い本ですね。
斎藤 このなかで、福沢諭吉、北一輝、西郷隆盛、尾崎秀実、竹内好などの論客がアジア主義をどう捉えていたかが検討されていますが、これらの人々のアジア主義をどう評価するかは私の教養では判断がつきかねています。ただ、いまでも「これからはアジアの時代だ」みたいなことが、いつも言われるでしょ。その言葉を深く考え直す、という意味で啓発的な本です。
永江 この本を読むと、在日朝鮮人問題も少しわかるよね。『死は炎のごとく』を読むときの副読本(笑)。ところで、読みながら真っ先に思い出したのは、廣松渉が死ぬ少し前に朝日新聞に発表した論文。それはまさにアジア主義でした。「ゴリゴリのマルクス主義哲学者がなぜ死ぬ直前にアジア主義を?」という疑問が湧き上がりました。転向のようにも見えたし、裏切りにも思えた。
斎藤 アジア主義っていうのは、心情的なものが大きい。それだけ根深い問題なんでしょうね。アジア主義という時は、いつも日本から見た視点。日本をリーダ―として見ているでしょ。そこに危うさがある。戦争に負けてアジア主義は滅びたようにみえても、戦後は経済侵略という形でのアジア侵略をしてきた。売春観光ツアーまで含めて、貧しい人たちが潤うんだからいいじゃないか、みたいなところまで繋がってきているように感じます。
永江 そもそも「アジア」って、たまたま地理的に近いだけでひとつ括っていいんだろうか。この本に「同文」という言葉が出てくるよね。中国、朝鮮、日本は漢字文化圏だといっても、その文化の中身はぜんぜん違う。そういえば、アマゾン・ドットコムがどうして日本に進出したかというと、彼らは東京に進出すれば中国全土も手中にできると考えているから、という笑い話があるけど。
司会 おおきな間違いでした。
斎藤 漢字文化圏はひとつに見える、と。
永江 でも、関東軍とか戦前のアジア主義者は、本気でそう思っていたわけだ。
斎藤 日本は、ヨーロッパ帝国主義の真似をしたくてしょうがなかった。それでアジアに乗り出していったけれど、そこには二重のカッコわるさがあるよね。フランスあたりの真似をして、古い植民地主義そのままに創氏改名をやったりした部分と、所詮は田舎のあんちゃんなのに、大店のだんなの真似をしたという部分と(笑)。
永江 ただそれもね、日本人全体がそう考えていたんじゃなくて、明治維新でのし上がってきた薩長の田舎者の発想なんじゃないかと思う。この本にはそんなこと書いてないけど。
斎藤 そうか、日本の近代は薩長土肥の田舎者によって造られたわけだ。
永江 そういう意味でもアジア主義を解体しなくっちゃ。
斎藤 もともと、なぜ今回アジアをやりたかったか、というと旅行ガイドブックがあまりにひどかったからというのがきっかけのひとつ。歴史的な背景を確信犯的にばっさりきって、ベトナム雑貨とか、コロニアル・スタイルのホテルが素敵とか、平気でいっている。コロニアル・スタイルもいいけど、その背景を少しは考えてみなよ、というのがある。
――コンプレックスの裏返し?――
司会 では次に『21世紀のアジアを生きる――共生の未来像』(上田正昭編著、文英堂、2001年3月刊、本体1600円)です。
斎藤 これはシンポジウムと講演の記録です。いろんな角度からアジアの全体像をつかめる。わりと読みやすくて面白い。古いアジア主義ではなく、今後アジアが共生していくにはどうしたらいいのかを模索しています。簡単にいうと文化は多様である、ということですね。
司会 はっきりいうと、日本に未来はない、ということがよくわかる(笑)。
斎藤 日本をリーダーとしたアジア…なんていう構想は大きな勘違いで、誰が見たってそれはありえない。この本の内容は熱帯雨林の話、石毛直道さんのアジア食文化の話、サッカーのワールドカップ日韓共同開催の背景の話、漢字文化圏の話、そしてチベット文化と日本文化の比較の話など、バラエティに富んでいて結構笑えます。日本が逆によく見えてくる。
司会 なせこれを選んだのですか?
斎藤 深い意味はないけど(笑)、多様な視点がはいっていていいなと。これは大阪府立中央図書館ライティ・カレッジシリーズになっていて、他に『アジアのなかの日本を探る』とか、『アジアと日本のルネサンス』などがあります。
永江 日本がアジアのリーダーとなって…というのは、コンプレックスの裏返しなのかな。もともと日本は辺境の後進国だったわけでしょ。文字だって宗教だって倫理・道徳だって中国や朝鮮からきたものだし、なんでも借り物。そのコンプレックスが根強いから、裏返しとしてそうなるんだと思う。福沢諭吉はその典型でしょう。
斎藤 中国に行くと日本は中国の属国なんだなあと、しみじみ感じますよね。
司会 『怪しいアジアの暗黒食生活』(クーロン黒沢・明日香翔著、ベストセラーズ、2001年4月刊、本体1286円)を読むと、日本は絶対に中国にかなわないな、と実感しますね。
永江 これはゲテモノ食いの話です。ハッカーとしても知られるクーロン黒沢が、香港駐在の商社マン明日香翔(ペンネーム)から聞き書きしたという本。明日香は日本から来る幹部や取引先の接待や、取引先開拓のために、中国やベトナム、カンボジアに出かける。その先々でゲテモノを食べるハメに陥る。ねこ、ねずみ、犬、たぬき、ヘビ、サル、…。ゲッと思うけど、食べ慣れている人はゲテモノだと思っていないわけだ。
司会 明日香さんはタフですね。このくらいタフでないと中国人と互角に仕事はできないのかも。
永江 サルを食べる話だって、脳みそだけをたべるんじゃなくて、サルの全身が出されるんだからね。それで、脳みそを掬って食べるわけで。
斎藤 帯がおかしい。「世の中には知らない方がいいことも、たくさんある。…台湾、香港、中国、ベトナム、カンボジア……しょうもない仕事とブキミな食べ物、そして吐き気に明け暮れた日々。」
永江 仔ねこの手や生きた猿の脳みそを食べてこそ、ホントの八紘一宇、世界は一つ。その勇気もないのにアジア主義なんていってんじゃないよ(笑)。
(司会・文・構成 國岡克知子)