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斎藤美奈子&永江 朗の「甘い本 辛い本」 3 

日本にも階級はある!

――良家の子女はサバイバル競争に勝つ?――

司会 今回のテーマは日本にも階級は存在する、ということですがどの本から入りますか?

斎藤 少し前の本ですがベーシックな問題提起というか最初にこういうことを認識させてくれたのが『日本の経済格差――所得と資産から考える』(橘木俊詔著 岩波新書 1998年11月刊 本体660円)だと思うので、これからはじめましょう。経済学者や社会学者の間では経済格差が広がり、不平等感が大きくなっているという理解はあったのでしょうが、一般的にもこういう認識が広まったのはこの本がキッカケではないかな。

永江 そうでしょうね。

斎藤 私は出たときにすぐ読んで「そうか、やはりそうであったか」という感じがしました。

永江 バブルの時に一気に格差が広がって、それで私たちは気がついた。だけどこの本にあるジニ係数(不平等度)の評価によれば、少なくともここ二十年くらいの日本は、欧米と比べてみても、けっして平等な社会ではなかった。

斎藤 そう。バブル時にグッと格差は広がったけれど、異常事態のバブルがなかったとしても、やっぱり不平等はじわじわ拡大してきていた。構造的な問題である、ということです。

司会 今日取り上げる本は4冊とも共通した認識ですね。

斎藤 そうですね。立場としては同じところから出発しています。この本がでたのは98年でしょ。「一億総中流の均質化社会」に対する不満や懐疑が出てきて、これからは規制緩和をして実力主義で行くべきである、という主張が広がった頃ですね。それにちょっと待てと警鐘を鳴らすところが、この本にはあった気がするんですけど。

永江 そうなのかな? 平等ではない、というのは実感としてあったと思う。たとえばこの中で、小作農が農地解放で自作農になり、その土地持ちが五十年後に超金持ちになってしまったという歴史の皮肉が指摘されている。大都市周辺に土地を持つ者と持たざる者の格差は歴然としている。格差があることをうすうすは感じているのに、建前では結果平等の国だから抑圧的で閉鎖的で閉塞感があり、なんとなくイライラしているところに「実は平等じゃなかった」と言われて、「ああやっぱりね」という感じがしたんじゃないかな。

斎藤 ああそうか、そうですね。実力主義や実績主義は支持しても、それが格差を広げる道だとは思っていなかった。おもしろいのは、自分が落ちこぼれる側に回るとはだれも考えなことだよね。日本社会はけっして均質社会ではないのに、なんで均質の平等社会だなんて思えたのかな。

永江 現状で経済格差があるということが確認されても、“実力主義では駄目なんだ”という話にはならないと思うんですね。

斎藤 不平等を作り出す要因を考えると、一つは資産とか所得の問題だけれど、もう一つは学歴の問題が大きいと思う。日本は欧米とは違い、学歴が高いほうが収入が多いようには必ずしもなっていない。それでも学歴神話は大きい。これだけ進学率が上がると高卒か大卒かということよりも、どこの大学を卒業したかが問題になるんでしょうけれど。

永江 誤解を恐れずにいうと、実力主義にもとづいた経済格差も、一世代限りならいいと思うんだ。問題はそれが世襲され、階層が固定化されはじめていることだと思う。夫の出身階層と妻の出身階層のことが、この本の150頁以降に書かれているけど、このへんから俄然面白くなる。これを読んでいて西武百貨店に勤めていたころのことを思いだした。流通系企業は初任給がものすごく安い。ところが管理職になると急カーブで給料が上昇する。30歳くらいまでは、それだけでは食えないくらい安い。だからどんどん転職していく。ところが残っている人間はその安い給料に耐えられ
るだけの資産家の連中なんです。東京出身者で実家に住んでいるか、あるいは実家が金持ちで親から援助を受けているか。そういう人だけがサバイバル競争に勝ち残る。勝ち残った人は、高い給料を取る。

斎藤 それは結果的にそうなるということでしょ?

永江 それがシステム化している。西武に入ってびっくりしたのは別荘を持っている家庭の子女が沢山いたこと。流通系というのは「ああそういうことなんだ」と納得させられるほど、課長、部長になるのは良家の子女です。

斎藤 たしかに若いサラリーマンやOLのお給料で東京で一人暮らしするのは大変ですよね。80年代には持てるものと持たざるものの差というのが歴然としていたのに、バブルにうかれて、階級や階層、あるいは格差というものをすっかり忘れていた、そこにこの本がでてきて、新鮮ではあったな。

永江 もういちどクールに実態を見直すという意味で、出発点となる本です。

――努力したけど、世の中は不平等。だから貧乏なんだもん――

司会 ではそれを引き継ぐものは?

斎藤 もう少しわかりやすくて暮らしの実感にもとづいているのが『不平等社会日本――さよなら総中流』(佐藤俊樹著 中公新書 本体660円 2000年6月刊)でしょうか。

永江 これはまさにデパートの幹部社員になれるのは良家の子女だけ、という階層固定化の話。

司会 この本の著者である佐藤俊樹さんも、あとでとりあげる『機会不平等』の著者、斎藤貴男さんにしてもブルーカラー階級の家庭で育っているんですね。階級ということに意識的にならざるを得なかったのはこの辺に理由があるのかなと思いましたが…。正義感が強いところも共通しています。

斎藤 佐藤さんは学者だけど、自分自身の実感を大切にしているところがいいですよね。この本も80年代のお嬢様ブームを批判するところから始まっています。ただ、ブルーカラーの出身だから正義感が強くなるということでは必ずしもないと思う。恵まれた家庭に育った人のよさというのも反対側にはあって、恵まれているがゆえに社会全体のことを考える余裕が生まれる、ってこともあるでしょ? 出世街道を頑張ってのし上がってきた人は競争社会を肯定するだろうし、貧乏人であるがゆえの上昇志向もつよい。でも生まれつき豊かな人は、みんなが良くなる方法を考えられるかもしれない。革命家にド貧乏人は少ないですからね。

司会 のし上がっていく人というのは、良さもあるけれど、弊害も大きいですね。

永江 でもそれは、階層が固定されることの閉塞感と、チャンスが平等に与えられてないことに原因があると思う。のし上っていく人がいろいろなものを見失っていくのは、壁がたくさんあるから余裕をなくすんじゃないかな。不平等だったり経済格差があることを隠蔽したまま、「平等である」とばかり言われていることがすごく圧力になっていると思いますよ。平等が前提だと「貧乏なのはお前の責任だ」ということにされますから。これは相当つらいと思う。金持ちの子どもが金持ちになるのに5の力を使うとすると、貧乏人の子が金持ちになるには10とか20の力が必要なわけで。その過程では、失うものも多い。

斎藤 結果はともかく機会だけは平等に開かれている、というタテマエを戦後の社会は信じてきた。努力すれば報われる社会だと考えられてきたわけです。しかし、現実は……。

永江 「努力したけど世の中の仕組みは不平等になっている。だから貧乏なんだもん」、というところをちゃんと認識しないとね。

斎藤 この本の指摘でなるほどと思ったのは、いつ日本社会が閉じた社会、階層移動のしにくい社会になったっかってとこ。高度成長期は社会階層移動のしやすい、つまり努力すれば一応報われる社会だった。そのしくみが変わったのが1970年代のはじめで、それはちょうど団塊の世代が大人になって社会に出ていった頃です。学園紛争というのは、そういう若者たちの反乱だったのではないかという話を、竹内洋さんの『日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折』に出てきたことを思い出しました。

  もう一つ面白いなと感じたのは、著者が考えた現在の選抜社会・産業社会のゆきづまりを打破するための処方箋。「ブルーカラー系専門職とホワイトカラー系専門職の融合」など、四つの提案をしている。カリスマ美容師の意義とかね。カリスマ美容師の積極的な価値を述べた本て、ほかにないんじゃないかな。

永江 今回はとりあげなかったけれど、赤坂真理の小説で『ミューズ』というのがあるのですが、これは階級がテーマなんですよ。成城の歯医者に通っている女子高生の話で、彼女はモデルのバイトをやっているくらいだから、若さも美貌も持っている。だけど、自分は上流階級の出身じゃない、ということを実感している。だから歯列矯正に通っているんだけど。

斎藤 そうだった? あそこに出てくる歯医者さんはそういう役柄だったっけ。

永江 そう。それで彼女は歯科医と恋をするんだけれど、同じ成城に住んでいながらも彼女の家は崖の下。彼は代々坂の上の住人。クルーザーなんかも持っていて。

斎藤 そう言えば、私も成城の崖の下に住んだことがある!

永江 彼女にすれば、そこに絶対に超えられない階級差を感じていて…。

司会 崖で?

斎藤 あの地形は本当にそう感じる。あからさまに階級的な地形ですよ(笑)。閑静な住宅街をすぎると、途中からガクーんと下がるの、海抜も景色も。

永江 この小説をファッショナブルな風俗小説だと誤解して読んでいる評論家もいますが、階級物語として読んでみて下さい(笑)。

司会 『不平等社会日本』にもどりますが、これと『日本の経済格差』は本当に両方を読むとごちゃごちゃになりましたね。

斎藤 まとめて読むとそうですね。だけどこの2冊読めばかなり現状がわかるよ。

――年収250万円の世界はこんなに惨め――

司会 『機会不平等』(斎藤貴男著 文藝春秋 2000年11月刊)もずいぶん話題になりました。

永江 それだけ平等であるという幻想が根強かったからでしょう。

斎藤 幻想なんだよね。平等はある種の建前なんだけれど、生活実感とはずれているにもかかわらず、機会は均等で勉強して努力すればなんとかなる社会であるという原則論。関係ないけど、野口悠紀雄さんの『「超」勉強法』なんてまったくその考えでできていたな。とにかく勉強すれば日本はそれなりに見返りのある社会なんだ、ということ前提に「勉強しよう!」といっていた。あの本が売れたのが、96年でしたっけ。あれほどのベストセラーになったのはやっぱり幻想が生きてたからでしょうか。野口さんが勉強で報われる社会を心底信じているらしいのもすごかった。

永江 裏返すと、貧乏な奴は怠け者なんだからガタガタ言うな、金持ちが税金を払って世の中をよくしているんだぞ、というものすごく傲慢なエリート主義ですよ。この『機会不平等』は貧乏にはワケがある、ということをちゃんと書いている。それと総中流と言われたころ、テレビの街頭インタビューで、30歳で年収250万円という人が、自分は中流だと言っていたのを覚えています。30歳250万は、下流でも下のほうでしょう。それでも中流だと思わせていたのは、自分の位置をはかる座標軸がなかったからなんだと思う。その意味では、この本はちゃんと座標軸を見せてくれている。

斎藤 中流という言葉が誤解されているところが日本ではあるからね。中くらい、並ということが「中流」だと思われていた。ほんとうの中流はすごい上の階級であるのに。そこにねじれがあった部分もある。

永江 この本には様々な場面での不平等さが現れていて、年収250万円の世界がこんなに惨めな思いをするのかと実感するよ。

斎藤 そう。フィールドワークから生まれた本だからリアルですね。

永江 読むと不平等は絶対に問題だ、と思いますよ。

斎藤 ゆとり教育の見直しとか、OLのセクハラ問題とか、一見まったく無関係に見えるものが実は不平等とか不均衡に強くリンクしているのが面白い。斎藤さんは怒りをもって書いてますね。それがこれを迫力のあるものにしている。

――生理的に気持ち悪い――

司会 では最後ですが、『パラサイト・シングルの時代』(山田昌弘著 ちくま新書 1999年10月刊)。[何の気兼ねもせずに親の家の一部屋を占拠し、自分の稼いだお金でデートしたり、海外旅行に行ったり、クルマやブランドものや、彼氏や彼女へのプレゼントを買う。このように、学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者を、「パラサイト・シングル」と呼ぶ]と表紙に書いてあります>が、年収250万円でも親に寄生している人が豊かな理由はこれですね。

永江 これを読んだときは生理的に気持ち悪いと思いました。成人しても親と同居することを選択する人がいるということが信じられない。「寄生」とはよくいった、と思う。

斎藤 確かに気持ち悪い。だけど東京生まれ、東京育ちの女の子を見ていると、家を出ていくキッカケがない。私や永江さんの世代はまだは自立が当たり前で、いつまでも家にいる人には言い訳が必要だった。でも今の若者は恥かしさを感じることなく親>に寄生し、言い訳をする必要もなく、親に依存している。

永江 80年代以降の消費を支えてきたのはこの人たち。しかし、この本の分析によると現在の日本の不況の原因も彼らが自立しないことにある。なかなか結婚しないから、世帯数がふえない、家も売れない、消費も伸びない。ブランドものだけは売れるけど。

斎藤 今回は本当に同じ種類の本ばかりでしたが、これに興味を感じた読者は、『日本の階層システム』(東京大学出版会)も読んでみて下さい。 日本経済はデフレに>入ったといわれている。だとすると格差はもっと拡大するはずですから。

(司会・文・構成 國岡克知子)

 

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