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斎藤美奈子&永江 朗の「甘い本 辛い本」 10 

文明は衝突するのか?

――善悪二元論的な世界――

司会 重い本ばかりですが、どれから?

永江 では『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著、集英社、1998年6月刊、本体2800円)から。内容を大雑把に言うと、冷戦が終わったのでイデオロギーの衝突の時代はもう終了だ、次は文明の衝突の時代である、という本ですね。その文明を地域や歴史、民族、宗教、文化で8つのグループにわけて見せる。西欧、中国、日本、イスラム、ヒンズー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカです。この分け方・くくり方の細部については、異論を言い出すときりがないんだけど……。

斎藤 イデオロギーの後は文明だ、ということね。

永江 そう。この本を読んで最初に思ったのは、映画『もののけ姫』のアメリカ版のことなんです。あれは映像には一切手を入れてなくて、エンドロールの字幕以外はすべて日本版と同じ。ところがシナリオにはかなり手を入れている。アニメだから完全吹き替えですので。ハリウッドではかなり有名なシナリオ作家が担当しました。出来上がったアメリカ版を見ると、日本版とずいぶん印象が違う。基本的なストーリーはまったく同じなのに。ではどこが違うかというと、ずいぶんと二元論的で勧善懲悪的な『もののけ姫』になっていたんです。どの宮崎作品にも共通するのだけど、日本版ではどのキャラクターも善悪両方の面を含んでいて、絶対的な善も悪もないのに。日本版の曖昧さがアメリカでは理解されない、あるいは興行的に成功しないとアメリカのプロデューサーは判断したのでしょう。メリハリをきかせ、善悪二元論的な『プリンセスもののけ』になった。ハンチントンの『文明の衝突』は、まさにこの二元論の世界だと感じたんです。二元じゃなくて八元だけど、互いがくっきりと対立するものとして描いている。こういうふうにしか物事を理解できない人たちがいるんだなあ。

斎藤 そうだね。わかりやすい例です。

永江 だけど日本の歴史に置き換えて考えるとどうだろう。古代日本が中国の文化を受け入れるとき、そこに大きな衝突があっただろうか。第二次世界大戦後にアメリカの文化を受け入れる際にも、衝突があっただろうか。必ずしもそうではなかった。ところがここでハンチントンはいとも簡単に、文明が違えば衝突が生まれるという前提で考えている。

斎藤 「文明が違えば衝突が生まれる」というところに、私も線を引いちゃった。単純だなあ、アメリカ人は。この本のおとしどころでは、社会は二元論じゃなくて多元的だってとこ。それぞれの違いを認め合って尊重しあいつつ、いかに共存するか、というところに最後は落ち着くけれど、ほっておくと必ず衝突するぞ、だからそれを前提にして考えろ、ということですよね。

永江 これは出版されたときずいぶん話題になりましたね。わかりやすい国際関係論だから、チャート化しやすい。だから受けた。しかし、わかりやすいだけに危険だし誤りやすい。

斎藤 東西冷戦以後、どうしていいかわからなかったから何かこういう地図が欲しかったのでしょうね。

永江 ある種の決定論だから受けるのでしょう。文明が違うのだからお互いにわかりあえない、と決定されている。そこで思考を放棄してしまう危険性がありますね。

斎藤 面白いのは、いままで西欧文明が圧倒的に勝ってきたけど、そろそろ陰りが見えてきた。そうすると次はイスラムが怖い・・・・・・ということになる。敵という言い方はしていないけれど、次にのさばるのはイスラム主義だ、と考えている。だから「やっぱりきたか」ということになるの。アメリカ人はいかにイスラムを恐れているかが数字で示されていますね(p325)。「イスラムの復興」は中東におけるアメリカの利害にとって、回答者の60パーセントが脅威である、としています。イスラム主義が怖いんですよね。「近代化はめざすが西欧化はしない」わけでしょ。中央アジアまで含まれるイスラム主義は90年代に入るまで日本人の視覚にはなかった。

永江 でもその数字は湾岸戦争のすぐ後だから、ちょっと割り引いて考えないと。先日、『世界がわかる宗教社会学入門』(橋爪大三郎著、筑摩書房)を読みました。これはとても簡潔に各宗教と社会の関係が書かれている。これによるとイスラムの神とユダヤ教の神とキリスト教の神は同じなんだよね。

斎藤 だから、中核と革マルの争いのようなもので、対立するんだよね。

永江 キリスト教の場合は政治と信仰のことを、その権能をきちんと分けた。ところがイスラム教の場合は国家を超えたところにイスラム教徒の共同体を作るから、イスラム教が行動原理にまでなっている。いわゆる国家は関係ない。その国家観はキリスト教徒には脅威なのかもしれない。

斎藤 だからハンチントン側は衝突をする、といっているわけ。だけどイスラム側は国家を超えた共同体だから、次元が違う。

永江 この本の本当のところはキリスト教文明対イスラム教文明の話なんだけれど、それではあまりにも単純だから、一応7つ、8つぐらいの文明を並べてみるか、といったところでしょ。深読みするとイスラムを敵にして、再びアメリカが一致団結したい、というところか。

――タリバンも犠牲者?――

司会 急に出てきた『タリバン』(アハメド・ラシッド著、集英社、2000年10月刊、本体2800円)です。

斎藤 話題のタリバンですね。彼らがどのようにして出てきたか、その行動原理とは何か、ということを70年代の終わりからずっとアフガンを追いかけてきたパキスタンのジャーナリストが書いた本です。まずはイスラム原理主義とアフガンをめぐる国際情勢がどう動いてきたかが歴史的によくわかる。

永江 結局、イスラム教とタリバンの関係は、仏教とオウム真理教みたいなものでしょ。それだけならカルトで終わっていたのに、米ソの東西対立の時に、アメリカはタリバンを使って対ソ連代理戦争をやらせた。ところがソ連がアフガンから撤退し、やがてソ連が崩壊すると、タリバンが暴走しちゃった。それだけの話ですよ。ただ、タリバンがなぜ一時的にせよアフガンの民衆に支持されたか。それはいまの北部同盟を含めて、少数の戦闘集団があまりにひどかったから。略奪、レイプは日常茶飯事。それよりも規律に厳しいタリバンのほうが、まだましだとアフガンの人は思った。チンピラがやりたい放題で困っていたら、暴力団がやってきてチンピラを一掃してくれた。だけど今度は暴力団が住民を脅かして困る。そんな感じかな。これを読むと、アメリカの「報復」は間違いだけど、タリバンは根絶されるべきだとも思う。

斎藤 すごい悪いやつ。クメール・ルージュ(ポルポト時代のカンボジア版紅衛兵)とかに近いよね。クメール・ルージュやタリバンは政権を握っちゃうわけだけれど、中国の紅衛兵に代表される急進的な若い組織が馬鹿な考えをもったときの現象って何なんだろう・・・。

永江 それは昔からあるわけでしょ。ナロードニキがいわゆるテロリズムのはじまりだ、とかいろいろ言われるけれども、すくなくとも近代的政治が始まるときに、そういう恐怖政治はひとつのパターンとしてあった。日本だって幕末から明治維新にかけては、ほとんどテロルの時代。新撰組も水戸天狗党もタリバンみたいなものだから。でも当時は個人テロの時代で、ここまで大きくはなかった。

斎藤 普通はここまでいかないうちに潰されるし、もたない。それが権力を取るところまでいったのはアメリカのCIAのてこ入れがあったからかな。

永江 アメリカが自分たちの都合にあわせて、彼らを使ってきた。タリバンに同情をする気はないけど、彼らも犠牲者といえば犠牲者。

斎藤 タリバンをここまで太らせたのはアメリカだし、その前にはソ連のアフガン侵攻があった。この20年、アフガンの民衆はものすごく不幸だよね。

永江 タリバンのオマルやビンラーディンの言葉では80年間。第一次世界大戦以降、あの辺りはつねに内戦状態で、平和なときはまったく無かった。

斎藤 タリバンってまるで中世みたい。反近代なわけじゃない? 彼らはイスラム原理主義ではないと思う。これを読むと、違うということがよくわかる。

永江 ポルポトがマルクス主義ではないのと同じ。大学教育を受けたやつはみんなブルジョアだといって皆殺しにしたのと似ている。顎髭がないだけで殺されるなら、髭の薄い私はすぐ死刑だ(笑)。

斎藤 なぜ彼らがこんなに訳もわからない、イスラム原理主義ですらないような、中世みたいなことを言っているのか、というと、戦争孤児たちは「タリバン」というイスラム神学校でしか、食べていく、生きていく術が無かったからなんですね。女性からも隔離されて大人になっていった。

司会 これを読んで一番感じたのはアフガンに生まれた人はどうしようもなく不条理でかわいそうだな、ということでした。

永江 本当にひどい。タリバン以降の政権をどう作るかという話がもう始まっているけど、それもアメリカのご都合主義でしょ。よぼよぼの元王様をつれてこようとか。パキスタンの援助を取り付けたいから、今まで経済封鎖を解除したり。アメリカは自分の利益のためには世界中を平気で引っ掻きまわす。

斎藤 アメリカが絶対悪い。反米主義という意味ではタリバンを支持しちゃう。

永江 アメリカは自由と民主主義とか、「それはおまえだけの自由だろう!」といいたい。

斎藤 文明ということ自体がアメリカ主義でしかない。この本の日本版へのまえがきが感動的です。短いものですが、著者がいうには、日本はいいポジションにいて政治的にも「汚点がない不干渉の対アフガン政策を維持してきた」、そして2000年に「日本はタリバンと敵対勢力『北部同盟』の非公式な対話を仲介すべく、双方を東京に招待。もし平和が実現すれば、戦後復興のために絶対必要な、国際的資金支援集めに日本が先頭に立つ、という印象を双方に与えた」とある。それなのに、今回のことで小泉首相がこれを滅茶苦茶にしてくれた。

永江 危機が起こった時にその人間の真価がわかるよね。この1〜2ヶ月で相当はっきりしましたね。化けの皮が剥がれたな。これがなければ「小泉バンザイ」とみんな言っていたでしょう。

斎藤 いろいろな意味で『タリバン』は面白い本です。

司会 では最後の『国家と犯罪』(船戸与一著、小学館文庫、2000年4月刊、本体752円)。

永江 親本は97年で、ちょっと古いのですが。もともと船戸与一はルポライターで、『ゴルゴ13』の原作チームにも入っていた。豊浦志朗の筆名で『硬派と宿命』『叛アメリカ史』というノンフィクションがあります。それから数えて、『国家と犯罪』は20年ぶりのルポですね。内容的にはアメリカのみならず、世界各国の反体制運動、少数民族運動についてルポして回ったものです。いま読みかえしてみると面白いなあと思うのは、ここに出てくるのはみんな体制側からはテロリストと呼ばれる人たちばかりだということ。テロリスト=悪というのは、ものごとのごく一面的な見方でしかない。だからテロとは何か、ということだって実は相対的なものでしかない。

斎藤 国家に対する反体制運動をテロといい、それは犯罪である、と国家が言っている。それが基本的な図式になっているのね。

永江 でも裏側では国家による犯罪がメチャクチャ行われている。それは完全にいままでのイデオロギー対立に還元できない話なんだよね。冷戦時代は「反体制運動=赤」と体制側は切り捨ててきた。「オカミに逆らうのは共産主義者だ」という論法。だけどそれはまったくの嘘だったんだよね。

司会 一度権力を握ってしまうとどんな組織も腐敗する、ということがわかりますね。

斎藤 なに主義でも同じ。人間が集ったときの根本的な行動原理と考えたほうがいいのかもしれませんね。

永江 これを読んでいて、弾圧する側の国家の原理がいまひとつわからなかった。例えば中国だと、新彊ウイグル自治区をはじめ三つの自治区。なぜ独立させちゃいけないのかと思う。中国はあんなに広いし、人口も多いんだから、独立させればいいのに。分割民営化でいいと思う……。

斎藤 そういう人は権力者にはなれないの(笑)。やっぱり国家は土地の広さと人でしょ。国力を落したくないから手放したくない。中国のやりかたが決していいとは思わないけど、あれだけ大きいと共産主義っぽいものでないとだめだと思うな。とりあえず、中国共産党が権力を握っているからまだそれほどの惨事もなくてやっているけど、共産党が権力を失ったらメチャクチャになってやって経済的にやっていけなくなると思うな。

永江 そういう考え方もあるかもしれないけど、チベット自治区なんか役人はみんな漢民族だよ。ということは漢民族によるチベット人支配じゃない。事実上の植民地だ。食えりゃ植民地でもいいのか。独立するしないは、その土地の人々だけで決めるべきだよ。

斎藤 それは沖縄だって同じ。ま、中央アジアが次々に独立していったけどね・・・。カギはイスラムだったわけでしょ。だから民族問題ではなくてやっぱりイスラム主義が怖いということになるのかな。

永江 この本にメキシコ、チアパス州のサパティスタ民族解放軍の話が出てきます。先住民族とコロンブスの「発見」以降入ってきた住民との対立、カトリックとプロテスタントと解放の神学の対立と影響、さらに貧富の問題、イデオロギーの対立など、 あまりにも複雑な状況です。しかし、少数者が弾圧に屈せずに立ち上がるというところに、やっぱり心うたれてしまいますね。

(司会・文・構成 國岡克知子)

 

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