久しぶりに刺激を受ける本を読ませていただきました.今まで読んだ図書館モノ? の中では、反町茂雄著「天理図書館の善本稀書」や紀田順一郎著「図書館活用百 科」、また関連モノとして、脇村義太郎「東西書肆街考」に大変感銘を受けたま したが、これらとはまた別の意味で楽しませていただきました。 貴社編書房を今回はじめて知りました。(田舎モノですみません)巻末出版物案 内を見て、私の趣味を見透かすようなタイトルが並んでいるのに感激。今後もさ らに充実の出版を期待いたします。「編」いい言葉ですね。「Amu」はエスペラ ント語では、「愛してください」の意味があります。はい、これからも愛しつづけ ます。(北海道、MSさん、男性)
この本を読んだあと脳裏に浮かんだ一つのイメージ。広大な地球上に点在する図書館、うす暗がりに林立する巨大な本箱の数々、それにいっせいに明かりがともる。すると書物の群れがざわめき始め、無数の活字が立ちあがる……。だれが明かりをともしたのか? 断章という短い形式で記述された作者の語り口は簡潔で、おどろくほどの博識ぶりだ。それでいて初めて書物を開いたときの少年の熱い好奇心にみちている。 ある時はひんやりとして静謐な砂漠の図書館に、ある時は富を分配する破格の人、カーネギー図書館に、モンスター、ヨハンのひそむミュンヘン大学図書館に、地獄棚(発禁本)のあるパリ国立図書館に,燃える図書館に、小学校の図書室に、作者は軽やかにもぐりこみ、明かりをともし、かけ去って行く。あらゆるジャンルの境界をヒョイとひとまたぎ、この作者はいったい誰だろう? やっぱり……。長い間書物の舞台ウラで黒子としての眼力を養ってきた出版人であった。「保存」に対する眼力。ひとたび彼が保存の巨大なハコの中に座して語るとき、書物と書物にかかわる人々が多面体の貴石のように乱反射しながら輝く。 その中には忘れられた書物や人への深い哀悼の意もこめられているが、なにより驚くのは読者が「挑発」ともいうべき光をあびてしまうことだ。おっし! 読もうじゃないか、乱読なら負けませんぜ。挑発されたわたしは即座に立ちあがる。ある章に出くわして思いついた一冊の本を猛然と読みたくなったのだ。題名? それはヒミツだ。ヒントをひとつ。「レーベンスボルン」。「図書館と暗殺計画」の章をどうぞ。「保存」の持つ品のよさにまどろむどころか「けしかける」行動力をひめた作者の断章その2を待つ。それに小田図書館の目録は50以上はほしいもんね。 (トラン童子/翻訳家・パフォーマンスアーティスト) <bk1.サイトの書評より >
<『図書館逍遥』, 6 亡命者と図書館>を読んで
*アメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人が、アメリカの人文科学を隆盛に導くことができたのは、アメリカの図書館の蔵書が良かったからで、それにたいして日本の80年代から90年代に かけての公共図書館の時代に育った著者は「公共図書館の蔵書がよかったからだ」というだろうか、という著者の問いかけがある。図書館には様々な分野の図書がある。しかし、だ。私が利用しているような地方の、一市立図書館程度では蔵書がどうのこうのという話は出ようがない。東京の中央図書館あたりのレベルでの話なのだろう。しかし、では「公共図書館の時代」とは何だったのかということになる。これは地方にやっとこ図書館という建物が出来ましたよ、という時代でしかない。私が住んでいる町をみればよくわかる。比較的大きい図書館が出来たのが最近なのだから、蔵書の内容などこれからの話だ。ところが、すでにして、昔有名だった日野の図書館のある地域では図書館がお役所的になっており、市民の図書館などと言える状態ではなくなってきていると指摘されている。これでは、私が利用している図書館は、蔵書を充実させる前にサービスが悪くなる可能性がある。なにせ中央から地方にそういう状況が伝染してくるような気がするからだ。また図書館の蔵書を利用して学問をすすめることができるレベルに、蔵書を充実させるには、選書の段階で専門知識を持つ司書が必要である。国文科を出たというだけでは英語学は分からないし、社会学も分からないだろう。そこに大きな問題がある。司書に研修させるにしても、素養があるかどうかもわからない。仕事をしながら勉強させてくれるほどの度量は役所にはないだろう。カナダの児童図では、新米司書の仕事は本を読むことだそうだが、そんなうらやましい待遇は望むべくもない。偉い司書さんは司書に専門知識を付けさせるというが、ぼくが思うに専門知識を持っている学者に司書の知識を付けさせた方が早いと思う。またオーバードクターであぶれている者に仕事を与える良い機会になる。彼らは自分の研究に必要な図書はよく分かっているからすぐに揃えるだろう。しかし、この案はすぐに却下されるだろうな。司書の縄張りを侵すと いうことで図書館協会を中心に猛反対が起きるだろう。そこにもどうやらどこかと同じ聖域が存在するようだ。読者あるいは利用者を、いまだに自分たちが指導する対象だと彼らは思っているのではないか。ときどきメーリングリストで読む司書の言葉にそういう傲慢さをぼくは感じるのだ。 (学習塾経営 、東和昭さん)
*世の本好き、図書館およびすべての図書館員を励ます期待と希望の書! 一気に読破。クラクラしました。膨大な資料を使って書かれたこの本自体が「図書館についての図書館」になっていてスゴイと思った。(調理師、富板敦さん)
*この本も昨今小さなブームである「本の本」のひとつであろう。海野弘氏に『日本図書館紀行』という名著があるが、本書はそれとは異なった視点で、ボルヘス、バタイユ、果てはジュール・ベルヌまで、虚実のはざまを生きた文学者たちと図書館とのインタープレイを描き尽くしていて楽しめた。ボルヘスの「球体」あるいは「バベルの図書館」的イマージュ、あるいはマラルメの「世界は1冊の書物」のひそみに従えば、図書館は「世界」、そしてその場所を「逍遥」することはまさしく世界を旅するグランドツアーのメタファとして位置づけられよう。(建築家、脇博道さん)
*一気に読了。小田さんのテンションの高さにひきこまれたのでしょう、読み終えて少し頭の血のめぐりがよくなりました。右に左に縦横無尽に切りまくった太刀風の鋭さ、思わずのけぞるほどでした。その博覧強記おそるべし。(児童文学者、さねとうあきらさん)
*自分自身の思い出に重なる話もあれば(小学校の図書室で幸せな時間をすごしました)名前でけは知っている人々の話もあり、本好き、図書館好きにはたまらない本ですね。何処からでも読めるのもいいですね。(主婦、渡辺康子さん)
*「図書館逍遥」面白かった。最後の「母よ・・・」の章では泣いてしまった。私は芸術を一種のレクイエムと考えているので、その意味ではこれは母と死者と書物へのレクイエムだ。作者に「詩」の意識があったら、これすべて詩になるだろう。いくつも「挑発」としての書物説があり、猛然と本が読みたくなった。「燃える図書館」や「砂漠の図書館」などなど、すべてがよき時代へのレクイエムの気もするし若き世代へのバトンのような気がする。惜しむらくは最初の「図書館大会の風景」。つまらん。なんではじめに持ってきたのか? ほかがあまりに鋭く豊かで面白いので残念だ。(翻訳家・パフォーマンスアーティスト、O.Nさん)
*「図書館逍遥」ありがとうございました。この本の著者・小田光雄さんという方は出版ならなんでもござれという才人なのですね。ちょっと地味ですが、図書館には入れて欲しい本ですね。(評論家、櫻井秀勳さん)
*図書館と本を巡る古今東西の逸話を自在に逍遥した無類に面白いエッセイ。この本を出版した編書房もエライ。満点をつけてあげたいが、最後だけが残念。これだけ壮大なテーマの本なのだから、私的なことは書いてはいけないのだ!!(編集者、安原顕さん)